メディア・バイアスはなぜ生じるか (2020年5月26日)

小島正美

食生活ジャーナリストの会(JFJ)代表幹事
小島正美



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 新聞やテレビ、週刊誌などのメディアが流すニュースに「偏り」(バイアス)があるのはだれもが感じているはずだ。では、偏りを生む要因は何か。先に結論を言えば、その最大の要因は「市民への忖度」だ。

■5つの行動原理
 新聞やテレビなどの報道には、主に5つの行動原理がある。その原理は以下の5つだ。
①医師と患者の関係であれば患者の側に、政府と市民の関係であれば市民の側に立つというように「弱者」の立場に立つ。
②市民の共感を得るような物語をつくりながら報道する。
③学者の世界では少数派の意見を尊重する。
④解決策を提示することよりも、世の中の問題点(もしくは危ない面)を強調することに重きを置く。
⑤「いまが危機だ」と叫ぶ人たちを重視する。

■HPVワクチンの接種率はなぜ激減したか
 大半の偏りはこの5つの行動原理で説明できる。
 子宮頸がんなどを予防するHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンの危険な部分ばかりが報道され、接種率が1%以下に激減したのは、①と②と③で説明できる。この問題ではメディアは危ない市民や一部学者の声ばかりを報道し、主流科学者の大半の意見をしっかりと国民に伝えなかった。「ワクチンは危ない」という大きな偏りを生んだのは当然の結果であろう。

■遺伝子組み換え食品
 遺伝子組み換え作物やゲノム編集食品がなかなか市民に理解されないのは、HPVワクチンと似ていて、②と③と④で説明できる。多くのメディアは科学者よりも市民団体の声を重視して報道した。その結果、危ないという声が国民に届いた。  国民がゲノム編集食品などに不安をもっているなら、メディアが科学的な解説を繰り返し報道して、その不安の解消に努めればよいと思うが、現実にはそういう科学的な報道はあまりしない。たとえば、新しく出現するテクノロジーに対しては、メディアの仕事はその危険性を指摘することであり、その普及に資するような政府寄りの報道をするのはメディアの仕事ではないと考える習性がある。
 こうした行動原理が生きている限り、これからも遺伝子組み換え作物に対して科学的な理解を積極的に促す報道は出てこないだろう。
 これと同じように、福島第一原子力発電所の事故による放射性物質のリスクに関しても、すでにそのリスクが低くなっているという安全な話はあまり報道せず、危ない話をあえて見つけて報道する。おそらくこれからも「もう安全になった」という報道は期待できないだろう。

■地球温暖化では「危機的状況」を重視
 やや異なるのは地球温暖化問題だ。ここでは主流派科学者の意見がメディアを牛耳っている。温暖化は一定程度認めるものの、二酸化炭素が原因かどうかは分からないとする懐疑派の科学者は少数派なので、③の原理に従えば、メディアでもっと取り上げられてもよいはずだが、懐疑派が受けない理由がある。二酸化炭素の削減のような無駄な対策にお金を費やす必要はない、などという現状肯定的なスタンスが受けないのだ。
 逆に主流派科学者は「このままでは地球が危ない」と危機感を強調する。少数派の意見重視と危機的状況の意見重視を天秤にかけると、メディアは「危機」のほうを好む。これは安全な話(いまのままで大丈夫)を好まないメディアのDNAに起因する。「危機的状況だ」と報道するほうが市民の共感を得やすいからだ。

■5つの原理にもそれぞれ重みは異なる
 5つの原理はそれぞれ同じ重みをもつわけではない。問題にもよるが、どんな問題でも、①と②が大きなウエートを占める。両方に共通する特徴は「市民の意向に寄り沿って報道する」こと、つまり「市民への忖度」だ。考え方が左寄りにせよ、右寄りにせよ、新聞やテレビ、週刊誌を支えているのは市民である。その市民の意向に逆らって報道し続ければ、いずれそのメディアは購読者を減らし、収入の道を絶たれることになる。
 週刊誌は農薬や食品添加物、遺伝子組み換え作物の危険性をやたらと煽って報道(もちろん中身は読むに値しない非科学的な報道ばかりだが)する。これは①~⑤の原理(バイアス要因)がすべてそろっているからだ。私には傍若無人な報道にみえるが、その週刊誌でさえ、市民からそっぽを向かれれば自滅する。いまのところ、危険な話を好む左寄りの市民(どちらかといえば60歳以上の高齢層)が生き残っているから成り立っているが、この年齢層がこの世から少なくなれば、やがて衰退するだろうと私は見ている。