リスクコミュニケーションの今までとこれから (2020年5月26日)

小出 薫

NPO食の安全と安心を科学する会(SFSS)
理事 小出 薫



◆新型コロナ禍の中、まず申し上げたいことは、耕し、飼養し、生産し、製造し、運び、販売する、食品のバリューチェーンの現場を維持している人々への感謝です。それと対照的なこの国のクライシスコミュニケーションの機能不全を憂いつつ、ここではもう少し余裕のあるproactiveな行為である食品のRisk Communication(リスコミ)について復習をします。

◆リスコミという言葉が食品安全関係者にとっての主要AGENDAの1つになったのは、1997年FAOが提供した3つの横長楕円形で示されたRisk Analysis の概念図からでしょうか。Analysisと言う言葉には違和感がありますが、ここにはRisk Management, Risk Assessment, Risk Communicationの3要素をまず分けて吟味すべきものとする考えを込めているのでしょう。リスコミに関してはこの後、その定義:誰と誰の、何について、どの様な成果を求めてのコミュニケーションであるのか?にかなりの変化が見られました。
 当初、Risk Analysis概念で一番強調したかったことは、Risk Assessmentの実行と評価権限をRisk管理部門から独立させることでした。Communicationの内容と範囲については、主にリスク管理方針を決定する為の評価者と管理者間のそれと、事業者からの情報収集及び決定事項の社会への一方向的な説明を指していました。

◆しかし2003年頃からの10数年間にリスコミへの期待が膨らみ、その主体者と形も「関係者全体の、かつ双方向のもの」に変化しました。リスコミが成立している大きな楕円の中で、Risk 評価とRisk管理が機能している型の新しい概念図も生まれました。我国で2003年以降Risk評価の中心となった内閣府食品安全委員会からの情報発信は我々事業者の役に立ちました。しかし同委員会も国連機関や各国のRisk評価機関も、科学的根拠に沿った評価が素直に受け入れられて有効な仕組みに繋がりにくい食品特有の現実を厳しく受け止め様々な研究考察、試行そして提案を行いました。FAO/WHOは詳細なHandbook(2014)を、日本の委員会は「食品の安全に関するリスクコミュニケーションのあり方について」(2015)を作成しました。
 2015年時点でのリスコミの定義と使い方についての理解とは:①まず定義として:「社会の全関係者(Stakeholders)の間で、特定のリスクについて、その内容、それへの対応や関連する諸々の要因について、多様な形式と様々な目的で、不断に行うコミュニケーション」というものに。この様なリスコミを背景に、リスク評価も進み、リスク管理の実行に対してコンセンサスが得られ、必要な見直しも実行されて行くのです。続いて使い方については:②リスコミの目的は、説得し納得が得られることではない。対話、共考、協働を通した、Stakeholder間の相互理解と信頼の醸成が第1の目的である。③そして、リスクの性格とその拡大程度や社会的管理状況等により、リスコミに使う具体的手法や、当面の達成目的も違ってくる、と表現されています。

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◆上記の定義等には、とても柔軟な発想と同時に行政機関と民間との踏み込んだ協業への期待も見て取れます。日本で可能かなと言う危惧は感じますが、実は国連諸機関が例えばSDGsの幾つかの項目について活動し方針書をまとめる過程では、驚くほど頻繁に関係する民間の、それも事業者集団との会議を開き、共同で調査研究を進めます。最終文書を例えばFAOと酪農乳業団体の共著名で出すことも稀ではありません。国連側ではこうした自らの姿勢を"inclusive"な活動原理と称しています。Risk Analysisや、リスコミの内容進化の背景にもこの様な"inclusive"の哲学が有ると思います。
 2007年頃Risk Analysisと対比される"Risk Governance Framework"をスイスの独立機関International Risk Governance Council(IRGC)が提唱。既に日本を含む世界で、原子力発電や地球温暖化ガス排出から企業統治の危機まで、多様なリスク論議の拠り所として使われています。大きな特徴は、リスクが確実に存在することは分かっているがベネフィットが大きい、あるいは持続させることが必須の案件や事業を実行する際のGovernanceを念頭に置いている事です。リスクとベネフィット評価、政策決定と管理、リスク制御過程で社会や特定のStakeholderにかかる負担やコストのEvaluateといった要素全般に亘って、全ての関係者をinvolveしてリスクコミュニケーションを行うとしています。
 2014年の内閣府食品安全委員会主催のForumで、フランスのANSES(食品環境労働衛生安全庁)から招待された講演者はRisk Analysisの弱点を補う為に食品にこのFrameworkの考えを取り入れる提案を語りました。食品の特質を考慮すると全てのケースに適するとも思えませんが、提案されているコミュニケーションはこの社会の持続性にとって必要度が増してくると予想されます。