~SFSSが英誌Natureの問題提起論文をファクトチェック!~
【日本語(Japanese)/英語(English)】
まずは英紙Natureに掲載されたJ. Collinsらの論文について国内で報じられた以下の記事をご一読いただきたい:
・「論文紹介:食品に添加されたトレハロースがクロストリジウムの流行の原因だった」
西川伸一 | NPO法人オール・アバウト・サイエンスジャパン代表理事 1/7(日)
https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20180107-00080202/
・「英誌がリスク指摘 食品添加物トレハロースは本当に安全か」
日刊ゲンダイ(2018.1.24.)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/221758
トレハロースがきのこ類や酵母を用いた発酵食品(パンやビール)など天然食材にも普通に含まれる糖類であることや、クロストリジウム・デフィシル菌がヒトの腸内細菌の一種だが環境の変化により強毒性の感染症集団発生(アウトブレイク)の原因となることなど基本的な情報は、上述の西川先生の記事を読んでいただくとわかるであろう。ただ通常、このような食品添加物が日本国内はもちろん、欧米でも使用を認可されるには膨大な安全性試験データが要求されるため、今回のNature論文だけでトレハロースの安全性に問題があると評価するのは早計ではないかと疑った。SFSSでは、本論文のデータを含めて、国内で報じられた上記の記事が事実に基づいたものかどうか、以下の言説を対象としてファクトチェック(事実検証)を実施した:
前者記事のタイトル:
「食品に添加されたトレハロースがクロストリジウムの流行の原因だった」
後者記事の文中文言:
「食品添加物に使われるトレハロースが、クロストリジウム・ディフィシル(CD)腸炎の患者急増を引き起こしている」「トレハロースは、(中略) 腸の中では菌の栄養になり、食中毒を引き起こすとみられます」
なお、SFSSファクトチェックの運営方針・判定基準はこちらで参照されたい。また今回初めて判定(レーティング)を用いたファクトチェックを実施したので、判定基準表も以下に示しておく:
<判定基準>
SFSSは、本ファクトチェックの結論として、以下の判定(レーティング)基準を用いて発表します:
レベル0(正確) | 言説は、科学的根拠が明確な事実に基づいており正確である。 |
レベル1(根拠不明) | 調査の結果、事実かどうかの科学的根拠が見いだせなかった場合。 なお、科学的根拠を示すべき責任は言説の発信者にあるものとする。 |
レベル2(不正確) | 事実に反しているとまでは言えないが、言説の重要な事実関係に ついて科学的根拠に欠けており、不正確な表現がミスリーディングである。 |
レベル3(事実に反する) | 言説は、科学的根拠を欠き事実に反する。 |
レベル4(フェイクニュース) | 言説は事実に反すると同時に、意図的な虚偽の疑いがある。 |
① エビデンスチェック その1
Nature論文の著者らは、トレハロースが食品添加物として上市され始めたことにより強毒性のクロストリジウム・デフィシル菌(CD菌RT027株とRT078株)が出現し、アウトブレイク(感染症の集団発生)の直接的原因が食餌性のトレハロースではないかとの見解を示している。その考察をした原著のFig.6を以下に示す:
この中で食品添加物のトレハロースが米国でGRASとして認可されたのは2000年だが、それより前の1988年にはミネアポリスでRT027株の感染が、1991年にはアリゾナでRT078株の感染がすでに報告されている。すなわちこれが食品添加物のトレハロースにより誘導されたCD株でないことは明らかだ(天然のトレハロースによる誘導との解釈か?)。また赤枠で囲った2003年のカナダの30以上の病院で起こったRT027株のアウトブレイクも、トレハロースがカナダで認可された2005年より前にすでに流行が起こっている(トレハロースの食品での使用をカナダに認可申請した株式会社林原からの取材情報)。
Natureの著者らは、カナダで違法に出回っていた食品中のトレハロースがこのような集団感染を引き起こしたとでも主張するのだろうか?しかもこのようなアウトブレイクが院内感染で起こるケースが多いとすると、むしろ病院外の一般加工食品に含まれる添加物がアウトブレイクの直接的な原因とする仮説は、いかにも無理があるのではないか。普通に考えると、病院内でしか起こりえないような別の原因により患者さんたちの腸内細菌叢のバランスが崩れたことで、強毒性のCD菌がその反動として急に増殖したと考えるのがリーズナブルであろう。
さらに、このFig.6でもっとも致命的な点は、1995年から食品添加物のトレハロースが上市され最も流通量が多い日本がこのチャートに入っていないことだ。著者らは食品添加物のトレハロースが原因で強毒性CD菌感染症が集団発生するとの仮説をたてたようだが、ではなぜ20年以上にわたって最もトレハロースを摂食している日本において全くアウトブレイクが起こっていないのか*。
*国内で2001年にCD強毒菌検出の報告はあるもののアウトブレイクはない。
<このエビデンスから導かれる事実検証の結論>
「食品に添加されたトレハロースがクロストリジウムの流行の原因だった」「食品添加物に使われるトレハロースが、クロストリジウム・ディフィシル(CD)腸炎の患者急増を引き起こしている」⇒「事実に反する(レベル3)」と判定
② エビデンスチェック その2
Nature論文の著者らは、マウスを用いた実験で抗生物質とRT027株CD菌(R20291)を処置したうえで、トレハロースを経口投与した群と非投与群(対照群)を比較したところ、トレハロース投与群では有意にCD菌感染が重症化したと報告している(右グラフ:原著Figure3の通り)。このグラフだけをみると、やはりトレハロースを食べるとクロトリジウム菌を増殖させて腸炎が悪化する重要なエビデンスじゃないかと思う方もいるだろう。
しかし、ここによくある落とし穴が二つある。ひとつはトレハロースがマウスに経口投与されると、小腸で代謝されてブドウ糖になるという事実だ。トレハロースとブドウ糖をそれぞれ同量マウスに単回経口投与するとブドウ糖の血中動態がまったく同じ挙動をするとのエビデンスもある(株式会社林原からの文献情報:Kamiya T et al., Nutr Res, 23, 287-298, 2003)。つまり、このマウス実験はトレハロースというよりはブドウ糖の作用をみてしまった可能性が高いということだ。
そこでもうひとつの落とし穴だが、なぜ対照群にトレハロース以外の糖類を同量投与しなかったのかということだ。上記ひとつめの落とし穴が正しいとすると、対照群にブドウ糖を経口投与しても同じようにCD菌が増殖して重症化したのではないかという疑いが残る。あえて対照群を無処置にしたのは、ほかの糖質でもCD菌が増殖して重症化したからではないのか?
実際、著者らは本論文の最初で、右表のとおり通常CD株(CD630)とRT027CD株(CD2015)において増殖作用のある栄養源(CD菌のエサとなるかどうか)を確認する予備実験のデータを示している。(+)と表示された項目がCD菌を増殖させた栄養成分とのことなので、RT027CD株を増殖させたのはトレハロースだけではなく、問題のグルコース(ブドウ糖)も同様であることがわかる。しかもフルクトース(果糖)、ソルビトール、メチオニンなど通常CD株は増殖せずRT027CD株のみを増殖させたものまである。
糖質などの炭素源が一般的に腸内細菌のエサになるのは自明であり、今回トレハロースだけをターゲットとして強毒性CD菌のエサになるという一面を、試験管内とマウスを使った実験で示したことになるのだが、まずヒトがこの実験と同様、栄養源がトレハロースのみというような特殊環境に晒されることはあり得ないことから、かなり仮説自体に無理があるのではないか。またマウスとヒトの腸内細菌叢が全く異なることから、その意味でも鵜呑みにするのは危険なエビデンスと言えよう。
百歩ゆずって、もしトレハロースを含めた糖質が強毒性のCD菌増殖の直接的原因になっているとすると、天然のトレハロース源であるきのこ類・パン・ビールなど(文科省食品栄養成分表・炭水化物編を参照のこと)も食べたら強毒性CD菌アウトブレイクの直接的原因になるということになってしまうが、そのような事態が起こっていないのは日本国内の状況をみれば一目瞭然であり、にわかに信じがたい不安煽動情報というしかない。
<このエビデンスから導かれる事実検証の結論>
「トレハロースは、(中略) 腸の中では菌の栄養になり、食中毒を引き起こすとみられます」⇒食品添加物に対する消費者の不安を煽る意図がみえるため、限りなく「フェイクニュース(レベル4)」に近いが「事実に反する(レベル3)」と判定
以上、SFSSが今回詳細に調査した範囲で、「食品添加物トレハロースが強毒性のクロストリジウム・デフィシル菌感染症流行の原因である」「トレハロースは腸の中で菌の栄養になり、食中毒を引き起こす」という疑義言説は、科学的エビデンスをもとに事実検証した結果、「事実に反する(レベル3)」との結論になった。
(初稿:2018年2月6日14:30)
(修正:2018年2月7日14:40 最初の判定イメージ画像を差し替えました)