人は不合理な生き物である

古川雅一 東京大学特任准教授
古川雅一

まず、次の問題を考えてみてください。

【問題】Aさんは、友人のBさんとデパートに買い物に出かけたとします。デパートでは開業10周年イベントが開催されており、そこで行われていた抽選会で、Aさんは現金1万円を受け取る権利を獲得しました。ただ、この現金の受け取りにあたっては、次の条件が付けられています。

現実社会においてお金を山分けするようなことがあれば、どの程度の金額なら相手が納得するか、という視点で考えることになるでしょう。相手の「感情」を考慮するのです。1万円を二人で山分けする場合なら、相手に5000円を提示する人もいれば、4000円と提示する人もいるでしょう。相手は欲深いタイプだから6000円でなければ納得しないだろうと考える場合もあれば、相手は控えめなタイプだから3000円でも納得するだろうと考える場合もあるかもしれません。
しかし、前述の【問題】においては、二人とも経済合理的に物事を判断するタイプという前提が置かれています。すなわち、二人とも1円でも多くのお金がもらえる山分け方法を選ぶということです。その場合の正解、すなわち、AさんがBさんに提示すべき金額は1円ということになります。なぜなら、1円というAさんの提案をBさんが拒否すれば、Bさんの受け取り額が0円になってしまうからです。 このように、人は経済合理的な生き物であるという前提を置くかどうかによって解が異なります。【問題】の正解に対し、おそらく多くの人が「1円ではBさんは納得しないだろう」と感じたことでしょう。このように、経済合理的な意思決定が現実にそぐわない場面が多々あり、それは、その背景に人の持つ「感情が存在するからです。
このことは、食の安全性情報に対する認識や行動にも当てはまります。科学的に安全であるという情報を、人は適切に収集し行動すべきという合理的意思決定を前提に置くのは、そもそも無理があるのです。むしろ、人は不合理な生き物であるという前提に立ち、その不合理な特性を理解し対処することが重要なのです。