『iPhone/Googleが生んだ"とりあえず世代"のリスク認知バイアス』

[2016年3月20日日曜日]

 このブログでは食品のリスク情報とその双方向による伝え方(リスクコミュニケーション)について毎回議論しているが、今回はメーカーが商品の残留リスクをユーザーに伝えるために、ラベル/取扱い説明書/広告・広報活動などで注意喚起表示をするものの、それがうまく機能しない時代になったことについて考察したので、ご一読いただきたい。

 筆者が最初にiPhoneを購入したときに最も衝撃を受けたこと。それは『取説(取扱い説明書)』がないことだった。液晶画面以外に大きなボタンがひとつだけ・・(電源・音量調節ボタンなど、側面の小さなボタンは別として)。「これどうやって使うの?」「なんて不親切な携帯電話なんだ」などと思ったように記憶している。たしか携帯ショップで購入したはずだが、店頭スタッフも非常にお忙しかったようで、ほとんど説明をしてもらえず・・

「とりあえず使ってみてください。簡単ですから・・」
「使い方がわからないときはどうするのさ」
「Googleですぐ答えがみつかりますよ!」
「とりあえずやっちゃうってこと?」

 これからは取説がいらない時代になるんだ・・そう実感した瞬間だった。

 不思議なことに、本当にそんな時代がくるのだろうかという疑問は湧いてこなかった。スティーブ・ジョブズは未来を見透かしていた偉人ということか。通勤電車に乗ると、居眠りしている客以外は皆、スマホの画面を眺めながら指をすべらせている。10年前にはなかったそんな光景が当たり前になってきた。使用方法がわからなければ、GoogleかYahooで検索すれば数秒で答えがみつかるのだから、わざわざ取説を開いてじっくり読む人がいなくなるのは当然だ。だが取説が消えることで安全上非常に困ったことが出てきた。

 まさに、これまでは製品の取説において誤使用による人体へのリスクを注意喚起表示してきたわけだが、取説がなくなってしまうと、その代替となるリスク・コミュニケーションが抜け落ちてしまう。スマホを眺めながら歩いていたら、プラットホームに落ちて死ぬかもしれませんよ!と、駅の場内放送やポスターで知らせるしかないのは、スマホ購入時にそのような誤使用による残留リスクについて教えてくれないからだ。iPhoneを最初に開発したApple社の担当者は、このような事故が起こりうることを想定していただろうか。

 合理的に想定できる誤使用に関しては、取説などによりユーザーへの注意喚起が必要というのが一般的な製品安全の考え方なので、電化製品などの取説には必ず「!」マークとともに、想定される誤使用による人体へのリスクが具体的に強調表示されてはいるのだが、残念ながら取説を読まずに、とりあえず使ってしまう消費者が多くなってきたので、その注意喚起が機能しないのは自明だ。

 このまったく取説を読まずにとりあえず製品を使ってしまう一般消費者たちを、筆者は「とりあえずやっちゃう世代(とりあえず世代)」と名付け、まさにiPhone/Googleが世の中にもたらしたライフスタイル/カルチャーと捉えている。すなわち取説をまったく見ようともせず、とりあえずボタンを押して先に進めば9割がたは問題なくいけるのだが、進む方向がわからなくなったとき、もしくは不具合が生じたときに、初めてGoogleで検索して解決方法をみつけるという生活様式の一般消費者が増えているということだろう。

 ここには大きな落とし穴があり、とりあえずやっちゃった後の不具合が死亡事故につながることもあるということだ。死んでしまっては、いかに有能な検索エンジンがあっても「too late」だ。新車を購入したときに、「運転する前には必ず取説に目を通してくださいね!」とディーラーの営業マンはお客様に注意喚起するだろうが、"とりあえず世代"にとっては「こんな分厚い取説、読むわけないでしょ」として、ダッシュボード下の収納Boxに直行したまま、もう二度とドライバーが目にすることはない運命にあるのだろう。そうすると取説の序盤に大きな文字で書いてある注意喚起の文章は消費者に読んでもらえないことになり、リスコミは失敗ということだ。

 自動車運転の場合は、単純な運転操作技術や道路交通法を守らないことのほうが、はるかに死亡リスクを高める原因なので、たとえ取説を読まなくても、エンジンボタンやギアレバーさえどこにあるか確認できれば、自動車自体が次にどう操作すればよいかを自然に誘導してくれるようなシステムができあがっている。それはある意味"とりあえず世代"を甘やかしてしまっており、TVゲーム/携帯ゲーム感覚で進んでいっても普通に運転できるので、とくに最初の運転操作に慣れていない時期には、実際はかなり危ない橋をわたっているにもかかわらず、本人は安全運転と過信してしまう可能性がある。それは目の前の死亡リスクが見えていないということなので大変危険だ。

 製品の残留リスクをユーザーにきちんと伝えておかないと、メーカーにとっては製造物責任をとわれる可能性が残るだけでなく、自社製品を買ってくださったお客様が死亡リスクにさらされていることを見過ごしていることにもならないか。そのためにもスターターキットなどで製品を使用開始する前には、必ず残留リスク情報を読まなければ次のステップに進めないような動画により、簡単な注意喚起をするのがよいであろう。映画を観に行くと、必ず上映前に「著作権泥棒」のPR動画が流れるので、著作権について全く知らないという市民はほとんどいなくなったのと同じだ。面白い映画を観るためには、必ずそこを通らないといけないため、視認率があがるというわけだ。

 もしくは「とりあえず世代」のためには、製品を使用するプロセスの最初に、あえて些細な不具合が生じるポイントを作ることで、取説やGoogleで確認しない限り、次のステップに進めないよう製品設計するのも手だ。そのステップをクリアするのに、人体へのリスクがある誤使用の事例を読むことが必須条件になっていれば、「とりあえず世代」はゲーム感覚で上手にそこをクリアしていくうちに、リスク情報を自然に学習することになる。

 ただ、いろいろ工夫して残留リスク情報をよんでもらえたとしても、合理的に想定できない誤使用には対応できない。自動車でいえば、スマホでゲームしながらの「ながら運転」をされては、交通事故による死亡リスクを低減できない。そこは当然、道路交通法を最低限守ってくれなければ困るわけだが、「とりあえず世代」は想定できないワザを自ら開発して、一見安全そうな「ながら運転」を可能にしてしまいそうで怖い。

 自動車の場合は、運転免許証取得の際に道路交通法を学ぶことが義務なのでまだよいが、問題は自転車だ。先日も東京都内のせまい一方通行の道路を走行中に、横の路地から大人二人乗りの自転車が目の前に飛び出してきたうえに、信号を無視して交差点を通過していったが、おそらくお二人とも死亡リスクをあまり意識しておらず、いままで自動車たちがみんな避けてくれたからこそ自分たちがまだ生きているということをわかってほしいものだ。

 携帯ゲームなら一旦死んでしまってもやり直しがきくが、道路上で大型トラックに巻き込まれたらもう二度とこの世には戻ってこれない、という目の前の死亡リスクを認知すべきだ。このような方々に限って、「遺伝子組み換え食品は絶対食べません」などとTwitterでつぶやかれているとしたら、リスクリテラシー教育の必要性がもっと叫ばれないといけない。やはり自転車に関しては、2年に1回くらいの道路交通法研修会を義務化し、それをパスしなければ登録証が更新できないくらいの規制があって、この「とりあえず世代」にはちょうど良いように思う。

 一方通行の道路をヘッドホーンをつけて逆走する自転車もかなりのハイリスクと思うが、「とりあえず誰にも迷惑をかけてないのに何か?」という冷めた表情の若者が多いのは非常に残念だ。筆者の感覚では、一方通行路の自転車による逆走は危険きわまりない行為と思う。高齢者ドライバーが一方通行を逆走する自転車を避けようとして、反対サイドの歩行者を轢いてしまっても全くおかしくない状況を、なぜ法律がゆるしているのか不思議だ。このような不幸な事故が起こったとしても、逆走した自転車はそのまま走り去ってしまい、一切罪を問われないまま「とりあえずグラブル」のか・・

 これからの公共政策で社会のリスク低減を達成していくためには、この「とりあえずやっちゃう世代」の行動パターンを十分解析したうえで規則を決めていく必要があるだろう。大怪我をする前に法令違反として罰金でもくらえば、さすがの「とりあえず世代」も学習するであろうから、下手なリスクリテラシー教育プログラムよりも有効かも知れない。そのような社会に変えていく必要があるように思う。

 今回のブログではここまで食のリスコミの話題が登場していないが、「とりあえず世代」はおそらく科学的に不確かなネット情報に簡単に振り回されて、食の安全を安易に判断している方々が多いだろうことが容易に想像できる。まさに「とりあえずやっちゃう」行動パターンがリスク認知バイアスを引き起こしているのだろう。遺伝子組み換え食品・食品添加物・残留農薬などは将来の発がんリスクが高いものとして、できるだけ回避することが賢い食生活だと信じているのも、スマホから得た不安煽動情報をもとにとりあえず避けておこうという行動パターンが身についてしまっているからで、ネット上ででっちあげられた行政や食品事業者の陰謀論をついつい参照してしまう(陰謀論を完全に信じてはいないのだが、とりあえず避けるのが賢い生き方と信じている)のが特長だ。そのわりに発がんリスクがはるかに大きいタバコや酒は、自分のライフスタイルにかかせないものとしてリスクを許容するという大きな矛盾がそこにある。

 食のリスクに関してのもっとも大きなバイアスは、人工/化学合成のものは危険で、天然/自然/有機のものは安全という考え方であろう。科学的にリスク評価すれば答えは明白で、天然/自然/有機のほうが人体へのリスクが相対的に高いのだが、「無添加」「無農薬」「非遺伝子組み換え」といった消費者の不安を煽るマーケティング・バイアスに踊らされやすい「とりあえず世代」は完全にだまされてしまっているといってよいだろう。「無添加」という商品が世の中にこれだけ多いということは、やはり添加物が体によくないからなのだろう、という一見正しいかのような選択が、結局誤ったリスク認識につながっているようだ。

 相対的にリスク評価すると、合成の食品添加物や残留農薬よりも有機野菜/無添加食品のほうが人体へのリスクが高いと考えるのが一般的かつ科学的だ。なぜなら、添加物や残留農薬は食品衛生法により、たとえ一生食べ続けても健康影響が出ない量以下に抑えられている(人為的に制御可能)ことがわかっているが、有機野菜/無添加食品はリスク不明の微生物/自然毒の汚染度合いがわかっていないからだ。自然食品をあつかっておられる業者さんたちは、いやいやそのような微生物/自然毒に汚染されたような商品は販売しておりませんと言われるだろうが、農薬を使っていない植物たちは害虫を撃退するためにヒトにとっても有毒な化学物質を造りだしている可能性は否定できないし、有毒なカビや細菌に汚染されていても目に見えないものなので、購入時にはわからないというのが実態だろう(消費者サイドでの商品開封後の微生物汚染についてもまったく保証しないだろう)。

 筆者は有機野菜/オーガニックや無添加食品が必ず危険だと言っているわけではない。だが、残留農薬、食品添加物、GM食品などの危険性をネット上や出版物でうったえて消費者の不安を煽っている方々が、なぜかよくオーガニック食品や無添加食品を同じサイトで販売しておられるのをみるにつけ、悪質なマーケティング・バイアスと指摘せざるをえない。しかも上述のとおり科学的リスク評価によれば、あきらかに残留農薬、食品添加物、GM食品たちのほうが安全性は高いだけに、「とりあえず世代」のリスク認知バイアスにあたえる影響は深刻だ。

 典型的な「とりあえず世代」は、妙におしゃれな手料理にも興味をかかさず、iPhone/Googleで「ジビエ料理」と検索し、「今夜は『有機野菜と生鹿肉のカルパッチョ』をクックパッドでみつけたのでつくってみたよ・・」などとFacebookに刺激的に赤い鹿肉の料理写真をアップしたりするのだろう。その方のFacebookがその後更新されないねと思って友達にきいたら、どうも運悪く鹿肉があたってE型肝炎で亡くなったらしい、気の毒にね・・というような不幸な事故が起こってもまったく不思議はないのだ。

 遠い将来に起こるかどうかもわからない発がんリスクを気にして日々食事をしていたのに、生肉を1回食べてしまっただけで一瞬にして生命を落とすというような「リスクのトレードオフ」はぜひ避けたいものだ。「とりあえず世代」はスマホ検索情報に踊らされやすいため、このような悲劇的な事故に遭う可能性が高く、やはりバランスのとれた正確な食のリスク評価ができるような消費者教育システム(学校教育より社会人教育がベター?)が喫緊の課題となりそうだ。

 以上、今回のブログでは、取説を使わない"とりあえず世代"のリスク認知問題について考察しました。SFSSでは、食品のリスク管理やリスコミ手法について学術啓発イベントを実施しておりますので、いつでも事務局にお問い合わせください:

◎食の安全と安心フォーラムXII(2/14)活動報告
 『食のリスクの真実を議論する』@東京大学農学部中島董一郎記念ホール
 http://www.nposfss.com/cat1/forum12.html


◎食のリスクコミュニケーション・フォーラム2016
 『消費者の食の安心につながるリスコミを議論する』
 第1回(4月24日開催)
 http://www.nposfss.com/cat2/risk_comi_2016.html


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(文責:山崎 毅)