科学者の名誉は科学の常識を大前提に守られるべき
~HPVワクチン研究の名誉毀損訴訟が公衆衛生リスクに与える悪影響~

[2019年11月2日土曜日]

 "リスクの伝道師"SFSSの山崎です。本ブログでは、毎月食の安全・安心に係るリスクコミュニケーション(リスコミ)のあり方を議論しておりますが、今月は10月30日に二審判決が出たHPVワクチン研究の科学報道に対する名誉毀損訴訟(村中璃子氏による控訴審@東京高裁)とその公衆衛生リスクに与える影響について考察したいと思います。まずは、本判決を速報したバズフィードジャパンの以下のニュースを参照されたい:

◎HPVワクチン研究の「捏造」報道 名誉毀損で訴えられた村中璃子氏が二審も敗訴
 岩永直子 BuzzFeed News [2019/10/30 17:59]

  https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/hpvv-muranaka-haiso2

"HPVワクチン「薬害」説に立つ元信州大医学部長の池田修一氏の研究班の研究を「捏造」と書いたのは名誉毀損に当たるか争われた裁判で、東京高裁は一審判決に続き、筆者の村中璃子氏の名誉毀損を認めた。"

 本記事を読んでいただくと、この裁判の経緯がよくわかると思うが、医師/ジャーナリストの村中璃子氏が厚労省研究班の池田氏らによるHPVワクチンの副作用研究報告(途中経過)は科学不正の疑いが強いと報じたことに対して、"捏造"という科学者にとって最も厳しい文言に焦点をあてて池田氏が名誉棄損を訴えたところ、裁判所がその訴えを認めたということだ。実は判決が出た10月30日当日に、筆者が事務局長をつとめる食生活ジャーナリストの会(JFJ)主催のシンポジウムにおいて、当の村中璃子氏による「子宮頸がんワクチン問題から考える、これからの科学報道」と題する基調講演を聴講する機会を得た:

◎食生活ジャーナリストの会30周年記念シンポジウム(10/30)@東京大学農学部弥生講堂
 「食・健康・科学」をどう伝えるか ~ジャーナリズムのあり方を考える~

  http://www.jfj-net.com/9908

 本基調講演において村中氏は、HPVワクチンの接種により薬害が発生しているのではないかとする研究報告(動物実験/臨床ケーススタディなど)に関して、その因果関係が科学的に立証されていないということを具体的に解説したうえで、日本のメディアがこれを積極的に報じないことを厳しく批判する内容であった。HPVワクチンの接種により比較的高率に起こると言われる副反応が、重篤な神経症状に発展した症例の動画はたしかに衝撃的で、これは薬害に相違ないとしてマスコミ各社が過去に、世の中に警鐘をならしたのは無理もないと感じるところだった。

 村中氏の講演の中で、とくに強調されたのは以下の2点だ:

①池田氏研究班による研究報告が、予備試験的な位置づけだったとはいえ、たった一匹のマウスにおける実験データであったことから科学的根拠とはなりえないにもかかわらず、池田氏がTV報道の取材に応じてHPVワクチンによる薬害の可能性をほのめかしたこと。

②名古屋市立大学医学部の鈴木貞夫教授が監修した名古屋スタディという疫学調査において、HPVワクチン接種と副反応症状について、その因果関係がないことが証明されたということ。

 後者の疫学調査研究は、「全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会愛知支部」が名古屋市に調査を要望して、該当する世代の3万人の女性からアンケートを回収して解析されたものだ。分析疫学の手法により解析したところ、HPVワクチン接種と24項目の副反応症状の因果関係についてオッズ比が1に近いものだったと結果が得られたいう。これを単純に言い換えると、ワクチンを接種した群と摂取しなかった群で副反応症状の出現頻度に差がなかったということだ。この疫学調査を監修された鈴木先生のご見解は、以下の記事でわかるのでご参照いただきたい:

子宮頸がんと副反応、埋もれた調査 「名古屋スタディ」監修教授に聞く
 時事メディカル(聞き手 医療ジャーナリスト・中山あゆみ) 2019/06/11

  https://medical.jiji.com/topics/1184

 この3万人規模の疫学調査研究だけで、HPVワクチンの副作用がないと結論付けることはできないのかもしれないが、少なくともこの研究論文に対して公然と反論している科学者はいない(鈴木先生の論文に対して疑義をとなえるレターは来ていない)ようなので、ワクチン被害をうったえている患者さんたちの重篤な症状の直接的原因がワクチンではなく、別の原因を疑うのが妥当だろう(副反応が起こるかもしれないという精神的ストレスも影響しているのでないかと筆者は推察する)。

 さらに、今回の裁判で問題となった池田氏らの動物実験結果にしても、マウス1匹だけのデータをもってHPVワクチンの脳障害が証明されたと思う科学者はいないはずなので、研究班もこれをもってHPVワクチンの副作用研究の結論が出たと発表したわけではないだろう(事実、途中経過報告だった?)。しかし、薬害被害をうったえる患者家族の救済につながるセンセーショナルな記事を求めていたメディアにとって"格好のネタ"になり、科学の常識を無視した報道に翻訳されてしまうことを予期できなかったものか。

 ある意味、村中氏に"捏造"とまで揶揄された非科学的報道は、厚労省研究班班長として何らかしらの研究成果を世に公表したかった池田氏と弱者救済につながる薬害ストーリーを求めていたマスメディアのニーズがマッチしたことにより生まれたものと疑われる。たしかに報道する側のメディアにも、今回の非科学的ワクチン研究報道の責任の一端があるのは否定できないが、やはり記事の元ネタとなった池田氏らの厚労省研究班による成果発表がなければ、市民のリスク誤認をまねくような科学報道は生まれなかったと考えると、池田氏の科学者としての研究発表の姿勢に問題があったと言わざるを得ない。

 しかも、この研究成果が報道されることで、ワクチン接種率が下がるであろうこと=公衆衛生上のリスクが高まること、その結果HPVに感染する若い女性が増えると、ウイルス性の悪性腫瘍である子宮頸がんの発症リスクが将来高くなることは、医師である池田氏にとって容易に想像できたはずだ。さらに今回の名誉毀損訴訟に勝訴したことにより、「当該研究成果が"捏造"ではなかった」と報道されると、さらに追い打ちをかけるように公衆衛生上のリスクに悪影響を及ぼすであろうことは大変残念だ。

 たった一匹のマウスを使った実験データを厚労省研究班が公式に発表することで世の中の不安を煽り、HPVワクチンの副反応という小さなリスクを回避するためにワクチン接種を行わなかった若い女性たちが、将来子宮頸がんのため生命や子宮を失う大きなリスクに当たるという、典型的な「リスクのトレードオフ」が起っていると考えるが、司法がそれを後押ししてもよいのだろうか。

 今回の二審判決で東京高裁の秋吉裁判長は、"捏造"の定義として、一般の辞書から「事実でないことを事実のようにこしらえること」と紹介しているが、池田氏の研究成果発表の内容は「HPVワクチンが脳障害を起こすという科学的事実でないことを、科学的事実のようにこしらえた」ように見える。科学者である池田氏がご自身の名誉のために、科学的事実でないことを科学的事実のごとく発表されたのだとすると、彼の名誉を法的に守るかどうかは、本庶佑先生が言われるような科学の常識を大前提に決めるべきではないかと裁判官の方々にお願いしたいところだ(村中氏が上告して控訴審が開かれるとしたらの話だが・・)。

 以上、今回のブログではHPVワクチン研究の科学報道に対する名誉毀損訴訟とその公衆衛生リスクに与える悪影響について考察しました。SFSSでは、食の安全・安心にかかわるリスクコミュニケーションのあり方を議論するイベントを継続的に開催しておりますので、ふるってご参加ください:

◎食のリスクコミュニケーション・フォーラム2019 開催速報
第1回:『食の放射能汚染のリスコミのあり方 ~風評被害にどう立ち向かう?』(4/21)

   http://www.nposfss.com/cat9/riscom2019_01.html

第2回:『食品添加物のリスコミのあり方 ~不安を煽るフェイクニュースにどう対抗する?』(6/23)
   http://www.nposfss.com/cat9/riscom2019_02.html

第3回:『メディアからの食のリスコミのあり方 ~市民のリスク誤認をどう解消する?』(8/25)
   http://www.nposfss.com/cat9/riscom2019_03.html

第4回:「食品衛生微生物のリスコミのあり方~消費者のリスクリテラシー向上をどう支援?」(10/27)
   http://www.nposfss.com/cat9/riscom2019_04.html

【文責:山崎 毅 info@nposfss.com