『サイズの見えないリスクは健全な食品開発を阻害する』

[2016年1月16日土曜日]

 このブログでは食品のリスク情報とその双方向による伝え方(リスクコミュニケーション)について毎回議論しているが、今回はリスクの大小が見えないことによる健全な食品開発やイノベーションの阻害要因について考察した。まずは、当NPO主催で昨年・一昨年と開催した「食のリスクコミュニケーション・フォーラム」にてご講演いただいた岸本充生先生(東京大学公共政策大学院特任教授)が、社会の安全・安心をリスク概念で可視化することの大切さについて解説された記事を、以下でご参照いただきたい:

◎「セイフティとセキュリティをリスク概念で可視化する」/ 岸本 充生
 http://thinknet.org/theme02/2014100201.html

 このインタビュー記事の中で、岸本先生が提唱されているユニークな切り口:「何かあったらどうするんだ症候群」について筆者も共感しており、食の安全・安心の世界でも同様のケースが多いことに気づかされた。岸本先生があげられた典型的な事例は、お掃除ロボットの製品化が著しく遅れたエピソードで、100%安全が保障されなかったので商品化を見送ったというものだ。仏壇にぶつかって、ろうそくが倒れて火事になったらどうするとか、階段から落ちてその下に赤ちゃんがいたらどうするだとか、延々話し合って結局発売を見送ったという、まさに「何かあったらどうするんだ」を繰り返してイノベーションが後退したというケースだ。

 おそらくリスクの大きさを事前にきっちり評価し、ベネフィットと天秤にかけても充分お釣りのくるイノベーションであるとわかれば技術開発は迅速に進んだはずだが、残念ながら安全を結果論でしか測れない社会が、事前のリスク評価予測の手法を持っていなかったせいで、安全・安心が100%保障できない限りイノベーションが前進できないというジレンマに陥ったケースといえよう。

 たしかに、飛行機事故が起こると多数の死者が出ることは大変重篤な危害ではあるが、だからといって飛行機に関する技術革新を人類が止めることがないのは、ベネフィットと比較した時にリスクがまだ小さい(事故の頻度が十分低いためリスクも小さい)とのリスク評価がすでに社会で確立しているからだろう。もし万が一飛行機が毎月のように墜落したとしても、おそらくもう飛行機の開発は止めようとはせず、簡単に墜落しない飛行機の技術革新を人類は望むだろう。なぜならすでにわれわれはたった1日で海外に移動できる飛行機のベネフィットを知ってしまったからだ。

 ところが、これが比較的新しい技術になるとなかなかそうはいかない。食のリスクではその典型例が遺伝子組み換え作物だろう。「何かあったらどうするんだ症候群」の反対論者は、遺伝子を組み替えて産生された予期せぬ物質により健康被害がでたらどうするんだとか、ほかの作物や環境に対して予期せぬ影響がでたらどうするんだ、などと空想を膨らませることで、「サイズの見えないリスク」をイメージさせるのが特色だ。リスクの大小がわからないうえに、自分たちにとってのベネフィットがほとんどないと感じる一般消費者の不安は煽られ、買い控え/風評被害が起こるので、GMO反対論者の目的は容易に達成されてしまうことが問題だ。

 遺伝子組み換え作物が米国で市場に登場してからはや20年の歳月がたち、とくに健康被害が起こっているという事実も聞かないので、そろそろ「何かあったらどうするんだ」という考え方自体が不毛の議論であることを一般消費者は認識すべきだ。グローバルな視点で世界的な食糧危機の状況にあることを考えると、遺伝子組み換え作物というイノベーションを止めるべきではない。ただ、一般消費者が安心してGMO食品を食するためには、信頼できる情報発信者からリスクの大小がよく見えるようなコミュニケーションがされないと不安はなかなか解消されない。まずは上述のとおり、しっかりしたリスク評価のエビデンスをもとに、リスクの大小がよく見える形での消費者との双方向コミュニケーションが必要だ。

 ただ、遺伝子組み換えの原理そのものが自分の価値観や宗教観に合わないという場合、ご自分の食生活にGM食品をいれたくないと思われるのはもちろん自由であり、その合理的選択の権利を尊重することは重要である。その意味で筆者はGM作物由来の食品については、食品事業者のホームページやお客様相談室の電話等で消費者が自由に確認できるようにするのが最善の方法ではないかと考えている。ラベル表示に表記すべきとのご意見を持つ方も多いと思うが、残念ながら現状、日本の一般消費者のリスクリテラシーと食品情報過敏症の状況を考えるとGM表示をした食品に不利に働くのは必至のため、食品事業者側が結局GM表示をしなくてもよい原料しか使用しないという市場の競争原理が働いてしまうのだ。しかも、その中には実際はGM作物由来の原料でも法律上表示の義務がないものも含まれる場合があるので、これは価値観が合わない消費者の方々にとってあまりハッピーな状況とは言えない。

 そうすると非遺伝子組み換え食品しか食べないという消費者のためには、有機JASやハラール認証のような認証マークを「GMO-Free認証」として取得する義務をもうけてはどうだろうか。そうすればGM食品を厳格に食べたくないという方々の選択の権利は守られることになり、どちらでもよいがちょっと不安という一般消費者は「遺伝子組み換え」の文言をラベル上で見ることもなくなれば、普通に食しても何の健康被害も起こらないので、気にする方々も自然に減っていくことだろう。

 GM反対論者の中でも「何かあったらどうするんだ」というリスク評価不在の安心論を流布することで、ほかの一般消費者も巻き込んで正当化するのは、ある種自分の宗教観を他人に押し付けているようで問題があるように思う。また、もし非遺伝子組み換え食品を売りたいがための広告にこの「何かあったらどうするんだ」を振りかざして一般大衆の不安を煽動しているとしたら、社会的責任を問われても仕方のないフードファディズム行為だ。安全なはずの食品をいかにも危険だと不特定多数に流布するマーケティング手法は社会により正されるべきであろう。

 次に「閾値なし」といわれる遺伝毒性のある発がん物質も、この「何かあったらどうするんだ症候群」のターゲットになりやすい食品中のハザードだ。閾値がないということは、摂取量がゼロでない限り人体への発がんリスクが少なからずあるとの結論に帰結するので、まさにリスクの大小が争点にならず、食品中に一切検出されてはならないとの主張をする方々が現れることになる。福島原発事故により発生した食の放射性セシウム汚染も閾値のない発ガン物質と解釈されたときから、ALARAの法則にのっとって検査結果が「不検出」でないと容認できないとの消費者が現れたのだが、やはり「何かあったらどうするんだ症候群」の方々がオピニオンリーダーとなって「将来がんになったらどうするんだ」と主張し、「リスクサイズは不明」と不安を助長した事例である。

   この食の放射性セシウム汚染に関して、消費者にリスクのサイズをイメージしてもらうのに有用なモノサシは、われわれが毎日食している食品中に普通に含まれる放射性カリウムの放射線量であろう。ものによって含有量は違うが、具体的に200Bq/kgや400Bq/kgなど、放射性カリウムを含む食品が多数あることを考えると、数十Bq/kgといったほとんど検出限界に近いレベルの放射性セシウム汚染を心配する必要性はまったくないことがイメージできるはずである。われわれは生まれてこの方、それだけの放射性物質を食品から毎日摂取しており、すべての食品に発がん物質が含まれるという大前提をまず認識する必要がある。こういったリスクサイズの可視化が、放射性物質のリスクコミュニケーションの重要なカギであることは間違いないところであろう。

 「何かあったらどうするんだ症候群」は、健康食品/サプリメント/機能性表示食品の安全性を議論する際にも散見されるので注意が必要だ。たとえばまったく新規のサプリメントを開発する場合には、たしかに一連の毒性試験やヒト臨床試験を実施したうえで、文献情報も含めた詳しいリスク評価を実施したうえで上市すべきであろう。しかし、すでにその機能性関与成分を主成分としたサプリメントが、ある程度の期間(販売個数やロット数にもよるが1~2年以上)にわたって市場で販売された喫食実績があるならば、その時点で副作用が発現していない食品はまず安全性に問題がないと評価してよいのではないか。

 もちろんサプリメントを継続使用した顧客から、「下痢になったんだけど・・」などの有害事象が寄せられることもあるだろうが、ほとんどの場合はその顧客がたまたま体調が悪かったとか、商品がその方の体質に合わなかったなどのケースが多く、副作用情報として当該食品成分摂取との因果関係が明確に認められる場合はきわめて少ないのが普通だ。逆に、もし万が一その機能性関与成分の原料に医薬品のような高い副作用発現率を示す成分が含まれていたとするならば、販売開始から1年以内に事業者・保健所・医療機関・国民生活センターなどに健康被害情報が複数寄せられ、厚労省から監視対象になるはずである。

 そう考えると、ある機能性関与成分の原料の違いにより人体への健康リスクに幅が出るはずなので、たまたま天然成分が高濃度に濃縮されていたり、ほかの有害成分が混入してしまった場合に、「何かあったらどうするんだ」という議論が起こるのも理論的にはうなずける。しかし、食品安全の専門家が上述の喫食実績情報を目にすれば、懸念されるリスクはもちろんゼロではないとしながらも、おそらくそんなことは起こらないだろう、と評価されるように思う。

 なぜなら、その1~2年間サプリメントを継続的に摂取している方々に何の健康被害も出ていないという実績自体が、当該サプリメントの総合的な品質(原料の質・製造/品質管理の精度・均一性など)に問題がないことの非常に強いエビデンスとして信用してよいと判断できるからだろう。筆者は機能性表示食品でもとくにサプリメントの安全性をしっかり担保するためには、GMP制度を義務化すべきだと以前から主張しているが、それはサプリメントの安全性がまさに上述の「総合的な品質」の管理手法に依存するからだ。

 健康食品/サプリメントの安全性については、医薬品との相互作用も必要以上に叫ばれているが、おそらくメカニズムだけから推論できるほどシンプルな作用ではないので、結局は機能性関与成分と特定の医薬品を併用した場合の有害事象情報が複数上がってきた際の医師の判断にあおぐべきだ。「機能性関与成分の作用メカニズムを考察した結果、30種類の医薬品との相互作用が推測される」と商品ラベルに書くべきとする主張は、まさにサイズの見えないリスクを創造してしまう「何かあったらどうするんだ症候群」と言えないだろうか。

 以上、今回のブログでは、サイズが見えないリスクが食品開発やイノベーションの弊害になることについて考察しました。なお、最初にご紹介しました岸本先生の興味深い記事が、東京大学政策ビジョンセンターのサイトに最近掲載されておりますので、こちらもご参照ください:

◎2015年のリスク:「起こったこと」と「起こらなかったこと」/岸本 充生
 http://pari.u-tokyo.ac.jp/column/column136.html

何もないことが当たり前すぎてそのありがたさに考えが及ばなくなっている食品安全の世界では、特に大事との岸本先生のご見解です。


 SFSSでは、食品のリスク管理やリスコミ手法について学術啓発イベントを実施しておりますので、いつでも事務局にお問い合わせください:

◎食のリスクコミュニケーション・フォーラム2015(4回シリーズ)活動報告
 http://www.nposfss.com/cat1/risc_comi2015.html

◎食の安全と安心フォーラムXII(2/14)ご案内
 『食のリスクの真実を議論する -消費者と専門家のリスク認識のギャップについて-』
 http://www.nposfss.com/cat2/forum12.html


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(文責:山崎 毅)